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東京高等裁判所 昭和57年(う)748号 判決 1985年3月20日

主文

原判決を破棄する。

被告人を無期懲役に処する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人櫻井光政が提出した控訴趣意書及び弁護人狐塚鉄世、同櫻井光政、同成田茂、同平野和己、同安田好弘、同渡辺栄子が連名で提出した同補充書に、これに対する答弁は、東京高等検察庁検察官安保憲治作成名義の答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

一  控訴趣意書第一点の第一、同補充書四丁ないし二三丁(被告人の誘拐行為に関する事実誤認の主張)について。

論旨は、要するに、以下のようなものである。

1  原判決は、被告人が大勝司(当時五歳)(以下被害児という。)を誘拐するに至る経過について次のように判示し、本件誘拐行為が計画的になされたものである旨認定している。

すなわち、原判決が「罪となるべき事実」の冒頭及び第一において判示するところによれば、

被告人は、

(一)  昭和五五年八月一日夜の段階で幼児の誘拐を思いつき、翌二日東八代郡一宮町方面へ自動車を走らせながら幼児誘拐に思いを巡らせ、

(二)  同二日午前一二時ごろ、原判示のスポーツ広場において兄及びいとこと遊ぶ被害児を認めるや、その誘拐を考え、

(三)  被害児を手なずけるためにいっしょに遊びながら、ひそかに被害児の誘拐を思い立ち、

(四)  同日午後三時ころ……被害児が同広場に一人取り残されるに至って、被害児の誘拐を決意し、

(五)  被害児に声をかけたところ、同児が自転車に乗って一人同広場を出て行ってしまったため、自動車を運転して同児の後を追尾し、いったん見失ったが、

(六)  同日午後三時三〇分ごろ一宮町東原四六七番地先交差点付近路上において、一人で歩いてくる被害児を発見し、車をとめ甘言をろうして同児を自動車の助手席に乗車させ、自動車を走行させて同児を自己の支配下におき誘拐した、

というのである。

2  しかし、本件誘拐行為の真実の経緯は右のように計画的なものでなく、被告人が被害児の誘拐を決意した時期も、誘拐の実行行為に着手した時期も、原判決の認定とは著しく異なる。

その経緯は、次のようなものであった。

(一)  原判示の八月二日被告人は自動車で走行中、たまたま一宮西小学校を見つけ、同校グランドでスポーツでもやっていれば観戦したいと思い、同校へ自動車を向けたが、グランド内へ自動車を入れることができなかったので原判示のスポーツ広場へ入った。

(二)  そして、右スポーツ広場でソフトボールをして遊んでいた被害児らを認め、ソフトボールを教えるなどしていっしょに遊んだ。

(三)  午後三時半ころ、スポーツ広場にいた子供たちは、ソフトボールの試合をするため被害児一人を残して原判示のチビッ子広場の方へ行った。

(四)  被告人は、その後もなお三〇分ほど被害児と遊んだが、そのうち同児もスポーツ広場を出ていった。被告人は、なお、しばらく一人で同広場にいたがやがて自動車に戻り、出発した。

(五)  すると、全く偶然に原判示の前記交差点付近で、歩いてくる被害児と出会い、同児を兄たちのいるチビッ子広場へ連れていってやりいっしょにソフトボールの試合を見物するなどして時間をつぶそうと考え、被害児に声をかけたところ、同児が兄のところへ行くというので、同児を自動車に乗せ、同広場へ向かった。

(六)  ところが、勝沼バイパスを進行中、被害児からそこを曲るんだよと声をかけられたときにはチビッ子広場の方へ左折する道路を通り越してしまい、それから左折を繰り返して再びバイパスへ出たものの、地形状況が分かりにくかったことなどのため、またもチビッ子広場の方へ左折する道路を通りすぎ、その先で左折し、大きくう回してバイパスへ戻ることを繰り返すうち、突如このまま被害児を連れ去り親から身代金をとろうかという考えが浮んだ。

(七)  それでも直ちに被害児誘拐の決意をしたのではなく、依然として同児とともにチビッ子広場へ行くことを考えていたが、またしてもバイパスから同広場へ向かう左折道路を見逃し、迷った後最後にバイパスへ戻らず、御坂方面へ車を走らせてしまった。

以上のとおり本件は、当初全く被害児誘拐の意図を有しなかった被告人が、偶然の事実の積み重なりにより、遂に同児を誘拐してしまったものである。

3  (一)前記原判決の認定に添う証拠としては、被告人の検察官及び司法警察員に対する各供述調書が存在するのみであるところ、右各供述調書は、すでに、具体的事実関係について相当の証拠を集めており、本件について具体的なイメージを持って取調べにあたった捜査官が、自らの想定したストーリーの上に乗せて調書の作成にあたったこと、初期の捜査ミスの結果被害児の救出に失敗した捜査官が、新聞等の非難を免れるため、可能なかぎり、被告人の殺害の故意や誘拐の故意の発生時期を早期に認定し、被告人の犯行の残虐性を強調しようとして、意識的な、または自覚されない方向づけをもって供述調書の作成にあたったことなどにより、全く事実に反する記載がなされたもので、到底信用することができない。

(二) 右各供述調書の記載が虚構に満ちたものであることは、次の事実からも明らかである。

被害児は当時五歳の幼児で、補助輪つきの自転車を使用していたのであり、右自転車に乗ってスポーツ広場を出ていったことになる。被害児の自転車による走行速度は、最大限大人の歩速(毎秒一・一ないし一・二メートル、時速四ないし四・三キロメートル)程度としか考えられない。他方、前記各供述調書によれば、被告人は自動車で被害児を追跡したというのであり、被害児が別紙第一図(弁護人提出の控訴趣意書補充書の添付図面)上のc点からd点方何へ行ったので、被告人もすぐスパイクからサンダルに履きかえ、a点に駐車してあった自車を発進させ、b点を東に曲がったときは被害児は見えなかった。d点付近でk方向に通ずる道路を見たが、やはり被害児は見えず、さらに東進してe点で左折南進し、f点でまた左折し、g点へ行き一時停止したところ、被害児が左の方から歩いてきたということとなる。

ところで、弁護人が調査したところによれば、c点から被害児宅h点までの最短距離は、cないしhの経路で約三四〇メートル、j、iを経由する道を通れば少なくても四〇〇メートルを上回ることになり、被害児が停止することなく進行したとしても、c点からh点まで自転車で到達するに要する時間は、前記数値に基づきその速度を毎秒一・二メートルとして計算すると、約二八三秒ということになる。他方被告人がスポーツ広場からg点まで達するには、被告人が被害児を追跡する意図のもとにスポーツ広場から車に戻り、これを発車させ進行させたという前提で考えると、自動車の進行速度をきわめて控え目にみて、最低時速三〇キロメートル(秒速約八・三メートル)としても、a点からg点までの距離合計約四一一メートルを単純に走行するに要する時間が約四九・五秒で、これにスポーツ広場から車がとめてあったa点まで行き、発車させるまでの時間を最大限三〇秒、d点で停車しk点方向を見通すに要する時間として一〇秒、これにa点及びd点で車を停止の状態から加速するまでの所要時間を各数秒計一〇秒とみても結局右所要時間の総計は約九九・五秒にしかすぎないのであり、右の検討に、さらに被害児が自宅に自転車を置き、その後再びg点方向に歩いてくるまでの時間を加算する等もろもろの要素を併せ考えると、被告人による被害児追跡の事実は全く起こりえない不可能なものであることが明らかである。

(三) また、前記各供述調書の記載中、被告人が昭和五五年八月一日夜の段階で幼児誘拐を思いつき、スポーツ広場において被害児を認めるや同児の誘拐を考え、以後誘拐の目的で被害児を手なずけるためいっしょに遊び、被害児が一人残されたときに誘拐を決意した、との部分も、以下のとおり人間の行動、思考形式として全く合理性を欠いている。

(1)  被告人の前記各供述調書中には、被告人が本件誘拐行為の当日の午前中赤尾孝雄方へ桃をもらいに行った旨の記載があるところ、被告人が右赤尾方へ桃をもらいに行ったという事実は、この時すでに被告人が子供の誘拐のことに思いを巡らせていたという原判決の認定に甚だ添わない。その前日子供を誘拐するしかないと思いつめていたことが真実であれば、のんびり友人宅へ桃をもらいに行くなどというのは奇異な行動というべきである。

(2)  また、三名の子供が遊んでいるとき、そのうちの一人の誘拐を考えたということ自体、その実行が相当困難であること、仮にそれが成功しても他の子供たちに人相や自動車のナンバーまで覚えられてしまうおそれが大きいことなどを考えると不自然であるし、自動車を堂々とスポーツ広場まで乗り入れていること、子供らと長時間遊び、手がかりとなる高校野球大会の雑誌をわざわざ被害児といっしょに遊んでいた子供に与え、もし誘拐を考えていたなら被害児をすぐ自動車に連れ込めるよう準備すべきなのに、昼食後自動車を道路上に置くなどしたことが認められること等は、当初から被害児の誘拐を意図していたものの行動としては全く考えられないものである。

(3)  さらに、被告人は、被害児といっしょにいたその兄及びいとこのほか、中学校三年生の赤尾司(一二歳)、同一年生の風間雅博(一一歳)ほか何人もの、すでに事理弁識の能力を十分に有する少年たちにスポーツ広場内で顔を合わせ、これら少年たちの存在を認識していたことが認められ、その他スポーツ広場内において水道配管工事をしていた複数のおとなたちが居合せた事実さえ認められる。

そのほかにも、被告人が当初から被害児の誘拐を意図していたとは到底考えられない幾多の事実が存在し、前記各供述調書の記載は全く措信できないものであることが明らかである。

4  しかるに、右被告人の供述調書等に基づいて前記のように認定した原判決には、本件誘拐行為の故意発生時期ならびに実行行為の着手時期について、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認がある。

以上のようにいう。

しかしながら、原判決挙示の関係証拠に当審における事実取調べの結果を併せ検討すると、原判決がなした「罪となるべき事実」の冒頭及び第一の営利誘拐に関する事実認定に、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認があるとは認められない。

以下所論にかんがみ考察する。

1  所論は、被告人の捜査段階における供述調書中、特に誘拐の犯意形成過程に関する部分には信用性がなく、これに依拠した原判決の事実認定には誤認があると主張して種々立論し、被告人も公判段階特に当審公判廷においては、被害児をその兄のいるところすなわち原判示のチビッ子広場へ連れていってやろうと考え、同児を自動車に乗せて走行中同広場へ至る道が分らず、同広場の周囲の道路を回るうち、全く突然に被害児誘拐の犯意を生じ、そのまま被害児を連れ去った旨所論に添うように供述し、本件営利誘拐の犯行が偶発的なものであったと強調している。しかし、右の被告人の供述は、犯意形成の過程があまりにも唐突できわめて不自然であり、基本的には被告人の捜査段階における供述のほうにより高い信用性が認められるが、被告人の検察官及び司法警察員に対する各供述調書中には、後記のとおり事実にそぐわない部分が存在することも否定できず、これに依拠したと認められる原判決の事実認定中にも、若干首肯しがたい部分が存在する。

2  そこで、まず被告人の捜査段階における供述や原判決の事実認定中右の疑問点につき考察する。

(一)  原判決は、「罪となるべき事実」第一中において

「ここにおいて、同児の近親者から、身代金を交付させる目的で、一人残された同児を誘拐しようと決意し、同児に対し『一緒に遊ぼう』などと声をかけ、これに応じないで自転車に乗って同広場を出ていってしまった同児のあとを自車を運転して追尾し、いったん見失うも、同日午後三時三〇分ころ、同広場東方約二五〇メートルの同町東原四六七番地先交叉点付近路上において、一人で歩いて来る同児を発見し、車を停め助手席のドアを開けて『お兄ちゃんのいるところに行くか』と甘言を弄して同児を自車助手席に乗車させ、」

と判示しているのであるが、これに添う証拠としては被告人の捜査官に対する関係各供述調書の記載があり、その代表的なものとして被告人の検察官に対する昭和五五年八月二八日付供述調書の関係部分には(「 」内の( )は当審注、以下同じ。)、

「(被害児の兄や他の子供たちがスポーツ広場を出ていき、被害児一人が同広場に取り残された後)私は……これは司君を誘拐する良いチャンスがきたと思いました。

私は、何かうまい事を云って司君を車に誘って誘拐しようかと思いました。

司君が兄ちゃんに置いてかれ、泣いていたので、そばに寄って、なだめるつもりで俺と一緒に遊ぼうか、などと声をかけましたが、司君は、それには耳を貸さず、泣きやんで、すぐに自転車に乗って、グランドを出て行きました(関係証拠によれば、被害児が、スポーツ広場を出ていったのは同広場東北端の北出入口、別紙第二図ハ点からであることが認められる。)。

私は、司君はこのまま家に帰ってしまうのかな、それとも家に自転車を置いて、兄ちゃんの居るチビッコ広場に行くのかな、と思いました。

とにかく司君が一人になった良いチャンスですから、出来れば何とかして、司君に声をかけて、車に乗せてどこかへ連れ去って誘拐しようと思いました。

グランドで一人になった司君に、声をかけて、車に乗せて連れ去る事は、司君がすぐに自転車に乗って行ってしまったので、出来ませんでした。

私は、そこですぐに自分の車に戻り、スパイクを脱いで、サンダルにはき換え、車を運転して、司君が走り去ったあとを追いました。

車を発進させ(前掲証拠により被告人が自車を駐車させておいた位置はスポーツ広場西側道路上北西端の近くで前図イ点付近と認められる。)、グランドの西の道路を右に曲がったら、もう司君の姿は見えませんでした。

しまった、見失なったか、と思いました。

右に曲がって学校の北側の道路を学校に沿って東にゆっくり走りました。

正門の前辺り(前図ニ点)で、北へ曲がる道も通りましたが、そこの交差点で、北の方を見ても司君の姿が見えなかったので、そっちへは行かず、そのまま学校沿いの道を行ったのだと思い、東へ進んで東の角(前図ホ点)を南に曲がりました。

学校の南側の道路に出ましたが、司君の姿は見えませんでした。

そこで、南側の道路をまっすぐ司君は行ったのではないなと思い南側の道路を少し行ったところの学校の裏門の所の丁字型交差点(前図へ点)を左に曲がりました。

姿が見えないので、その道路の方へ曲がっていったのだと思ったのです。

左に曲がって東に進みました。

桃畑の中の道です。

東に進んで少し行った最初の交差点(前図ト点)の手前約六、七メートル位の所で、左側の道路を左から(すなわち前図チ点からト点方向へ向かって)歩いて来る司君の姿をみつけました。

司君を見失ない、誘拐をあきらめかけていた私は、司君の姿を見て、しめたと思いました。

歩いていたので、きっと自転車を家に置いて、歩いて兄ちゃんの居るチビッコ広場に行くのかなと思いました。

私は、司君が一人で、しかも、その付近には、他に人も居なかったので丁度いい、司君に声をかけて、車に乗るように誘い、そのまま司君を誘拐して連れ去り、司君の親から身代金を脅し取ってやろうと思いました。

いよいよやるのかという事になると、胸がドキドキいたしました。

私は、交差点の入口付近まで行き、車を停めました。

司君はその時私の車から一メートル位左側におり、私の方に歩いてきました。

私は、車の中から、司君に、お兄ちゃんの居る所に行くか、などと云って声をかけ、車の中から助手席のドアを開けました。

司君が、お兄ちゃんの居る広場へ行きたい、と思っている事は、判っていましたから、そのように云えば、司君も、車に乗って来るだろうと思ってそのように云ったのです。

私としては、司君を車に乗せて、兄ちゃんの居るというチビッコ広場に連れて行かず、そのままどこかへ連れ去って誘拐してしまおうという気持ちだったのです。

司君は、私が助手席のドアを開けてやると、一人で車に乗ってきました。」

との記載がなされている。

(二)  しかし、当審において取調べた証人小林克江は、

「本件当日の八月二日同僚の佐藤由勝と本件スポーツ広場でヒューム管敷設工事に従事し、床堀りをして出た残土をダンプカーで河原の残土処理場へ捨てにいき、再び同広場へ戻る作業を繰り返していた。午前中に引き続き昼食休憩後午後の第一回目の残土捨てに出たとき、スポーツ広場北西角の道路上(前図イ点付近と認められる。)にワゴン車(被告人の車両と認められる。)が北側を向いてとまっていた。残土捨てから戻ったとき、スポーツ広場で中年の男(被告人と認められる。)と幼児(被害児と認められる。)一人を含む三人の子供がボール遊びをしていた。その後第三回目の残土捨てに行き、戻ったときにはワゴン車は先ほどのところにとまっていたが、それまでスポーツ広場で遊んでいた中年の男と子供たちの姿はなかった。それからスポーツ広場の近くの店ヘアイスクリームを買いに行ったが、同広場を出るとき、同広場東南端の出入口(前図リ点、以下当裁判所の検証調書の呼称にしたがい東通用口という。)の石段を同広場からその南にあるテニスコートの方へ元気のない様子で歩いていく(先ほど同広場で遊んでいた)幼児の姿を見た。」旨供述しているところ、右小林は、本件被害者側とも被告人側ともなんら利害関係のない第三者であるうえ、その供述態度からみても、その証言の信用性は高いと認められる。

(三)  そして、前掲被告人の捜査段階における供述によれば、被害児はスポーツ広場北出入口(前図ハ点)から自転車に乗って出ていき、後に原判示の東原四六七番地先交差点(同卜点)付近路上を歩いているところを被告人に発見されたことになるところ(この点については被告人の当公判廷における供述も同旨で争いがない。)、前記小林克江の証言を検討すると、被害児はその間に同人からスポーツ広場東通用口(同リ点)石段を歩いているところを視認されたこととならざるをえず、さらに大勝きみ子の司法警察員に対する昭和五五年八月三日付供述調書によれば、被害児が誘拐された後同児の家(大勝和英方、前図チ点)の庭に同児の乗っていた自転車が置かれていたことが認められるから、同児は、また前記の間に自宅へ自転車を置きに戻ったものと推認される。

(四)  ところで、被告人の捜査官に対する前記供述調書によれば、被告人は、被害児が自転車に乗ってスポーツ広場を出た後、自車を運転してその後を追い、前記の経路(前図イないしトの各点)を走行し、前図ト点の交差点手前で左から同交差点の方へ一人歩いてくる被害児を発見した旨の記載があるところ、当裁判所の検証調書添付の第一、二図(一宮町作成の一宮町都市計画図、二五〇〇分の一)によると、被告人の走行経路である別紙第二図イ点ないしト点間は四百数十メートル前後、被害児が自転車に乗って出たというスポーツ広場北出入口(前図ハ点)から被害児方(同図チ点)まで最短距離の道路(同図ハ点ないしチ点間)を経由するとして三八〇メートル前後、スポーツ広場北出入口(同図ハ点)から東通用口(同図リ点)まで八五メートル前後(以上の数値は、概数であるが、数十メートルの誤差があっても後記の結論に影響しない。)と認められ、被告人の走行経路と被害児の行動範囲を考えると、自車を運転して被害児の後を追ったという被告人が、たとえ、低速で被害児の姿を探しながら進行したとしても被害児がスポーツ広場北出入口から出ていった後被告人が前記ト点付近で同児を発見するまでの間に、同児が前記のように相当広範囲の各地点間を移動できるかどうか甚だ疑問であるといわなければならない。

(五)  したがって、被害児がスポーツ広場を出ていってから直ちに被告人が同児の姿を追い求めて自動車を発進走行させたという状況はなかったのでないかと推認され、この意味において被告人の捜査段階における供述調書中右趣旨の記載部分は事実と符合しない疑いがある。

(六)  これに対し、被告人の当審公判廷における供述によれば、被害児がスポーツ広場を出ていった後、被告人はたばこを吸うなどして時間をかけ、それから自動車を運転して出発し、当日被告人が昼食をとったとき二回ほど出入りした同広場の近くにある甲斐奈神社の境内へ入り、縁側で休むなどしてから再び自車でスポーツ広場の方へ戻り、その後前図イ点ないしト点の経路で進行し、ト点の交差点付近へ出たところ被害児と出会った、というものである。

被告人の右当公判廷供述を前提とすれば、被害児がスポーツ広場を出ていってから、前記交差点において被告人と出会うまでの間に、同児が前記各地点間に赴く時間的余裕が十分にあったこととなる筋合で、被告人の右供述は措信できると認められるのであるが、被告人は、捜査段階はもとより原審公判段階に至っても、前記の点について記憶の喪失ないしあいまい化等により全く言及しなかったため(そのことは、被告人の当公判廷における供述により、これをうかがうことができる。)、被告人の捜査段階における供述調書では、被害児がスポーツ広場を出ていった後の被告人の行動の一部がその供述から脱落し、被告人の供述する事実関係に整合性を欠く部分が生じたものと推認される。

3  しかし、右のように、被害児がスポーツ広場を出ていった後、被告人が直ちにその後を追ったという状況がなかったとしても、右時点以前には被告人に被害児誘拐の意図が全くなかったと認めるのは早計である。

(一)  すなわち、被告人の捜査段階における供述調書には、被告人が、原判示の「罪となるべき事実」冒頭記載の経緯で新星照明商会に対する支払の期限が近づくにつれ、なんとしてでも同商会に対する債務を支払わなければならないと追いつめられた心境になり、意を決して知人らから借金をしようと思い立ち、原判示の七月三〇日朝自車を運転して自宅を出発し、友人、知人を訪れてみたものの、いつも自分がはぶりのよいような話をして見えを張っていたため、いまさら借金の話等を持ち出せば自己の経営の内情が暴露され将来の仕事に差し支えるなどと心配し、借金の話を切り出すこともできず、二晩はそれぞれ知合いの家へ泊めてもらい、八月一日夜は自車の車内で宿泊し、その間金を工面する方策をあれこれ思案していたが、同日夜種々思い悩むうち、銀行や民家へ押入って金員を強取するか、子供でも誘拐して身代金を奪うかなどと思いつめるに至り、その以後、遂に被害児を自動車に乗車させて誘拐し、なおためらいがあってチビッコ広場の周囲をまわりながらも結局そのまま同児を連れ去るまでの経緯と、被告人の心理状態などが如実に物語られていて、まことに自然であり、事実経過の一部に前記のような誤りないし欠落があるものの、これによって右供述の信用性が全面的に失われるようなことはなく、むしろ、被告人の心情を表現している点では大筋において十分に信用できるものと認める。

(二)  そして、右供述調書によれば、被告人はすでに本件前日である八月一日夜の段階で幼児誘拐という手段を用いてでも何とか金員を手に入れたいとまで思いつめたところから、その考えが次第に具体化していき、翌二日原判示の経緯で自動車を運転してスポーツ広場に至り、同広場で遊ぶ被害児らを認めてからは、最も幼少である同児を誘拐の対象として意識し、そのような意図を秘めつつ行動していたものと認められる。

(三)  もっとも、前示2(二)(六)掲記の各供述を含む関係証拠により認められる被告人の当時の行動自体からも、被告人がいちずに被害児の誘拐のみを念頭において行動していたというわけでなく、思い悩む被告人の気質のせいもあって、情況の変化に応じその意図が強まったり、弱まったりしつつ推移し、被害児がスポーツ広場を出ていくときも、ためらいがあって、直ちにその後を追う等の行動に出たわけではないが、なお同児誘拐の意図を全く放棄したわけではなくその後前記イ点ないしト点の経路を通って自車を運転走行中も、半ば失いかけながらなおそのような意図を秘め続けていたものと推認される。

(四)  右のような意図を伏在させていた被告人が、原判示のとおり、たまたま前記ト点の交差点付近において歩いてくる被害児を発見するや、好機の到来に、半ば失いかけていた同児誘拐の意図をにわかに取り戻し、ここに同児誘拐を決意して、同児に声をかけ自動車に乗せ誘拐するに至ったものと認められるのであって、被告人にその後も、なお若干のためらいがあったことは、被告人が捜査段階においてすでに供述しているところであるが、そのことは被告人の同児誘拐の実行行為の着手の時点が前記のとおりであったことを妨げるものではない。

4  以上の次第で、被告人の捜査段階における関係各供述調書の信用性に関する所論のうち所論3の(二)の主張は、前示のとおり、被告人の前記各供述調書の記載とは異り、被告人による被害児追跡の事実はなかったとする結論において正当と認められるが、それが、前記各供述調書の信用性を著しく損うものでないことは前記のとおりである。

また、同3の(一)の主張は、裏づけのない憶測に基づくもので採用に値せず、同3の(三)の各主張は、前掲証拠によれば、被告人が必ずしも常に計算された合理的な行動をとっているわけでないことが十分にうかがえること、また、所論のいうような事情がありながら被告人は結局、現に被害児を誘拐していること等を考えると、右事情の存在は、当時被告人が被害児の誘拐に思いを巡らせていたことと背反するものとは思われない。

特に所論3の(三)の(1)の主張は、関係証拠によると、被告人は赤尾孝雄方へ桃をもらうために行ったのではなく、同人方を訪ね、これから新宿の方で地下鉄の仕事に出かけるなどと言ったところ、同人が、東京へ行くのならいっしょに仕事をしている衆にやっても喜ぶので持っていけ、などと言って桃を一箱くれたものであることが認められ、所論の前提自体にも誤りがある。

したがって、以上の各所論はいずれもこれを採用することができない。

5  以上検討したところによると、原判決の「罪となるべき事実」第一中前記2の(一)において掲記した部分は、前記当審の認定に添わない限度において事実を誤認したものというべきである。

しかしながら、この点は犯行に至る経緯の一部に関する事実の誤認であって、その範囲も右の程度にすぎないから、後記のとおり、この点を量刑の情状に考慮することはともかくとして、これをもって原判決に、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があると認めることはできない。

論旨は理由がない。

二  控訴趣意書第一点の第二、同補充書二四丁ないし三二丁(殺意の発生時期等に関する事実誤認の主張)について。

論旨は、要するに以下のようにいう。

1  原判決は、被告人の被害児殺害の故意の発生時期及びその形成過程について、

「(一) 同月(八月)四日、電話口に出た前記大勝和英の応答態度などから、既に警察に連絡され捜査が開始されていることを察知し、司と一緒では人目につき易く取引場所へ行っても捕まり、逃走するにも足手まといになり、さりとて同児を返せば自己の犯行が発覚すると危惧し、こうなっては同児を殺害しなければならないかもしれないと考え

(二) 同日午後六時ころ、甲府市平瀬町三一二番地志望橋付近の脇道において同児と二人でいるところをキャンパーに発見されたと思って狼狽し、いよいよ同児を殺害する気持を強め

(三) 同日午後七時ころ、中巨摩郡敷島町吉沢字桜本一、〇三〇番地内先道路を昇仙峡方面へ車を進行させたのち、車を転回させようとして脱輪させた際、これまで一度も泣いたことのなかった同児が突然『お父さん、お母さん』と大声で泣き始めたことに驚き、この泣き声を他人に聞かれては見付かってしまうと焦慮して同児を早急に殺害することを決意し、」

((一)(二)(三)の記号は当審で付す。)

と判示し、右(一)において潜在的殺意の発生を、(二)においてその拡大を、(三)において確定的殺意の発生を認めている。

2  しかし、原判決の右認定とは異り、被告人は、以下のような経緯で、発作的、衝動的に被害児を殺害したものである。

(一)  被告人は、原判示日の八月四日(被害児殺害の当日)午後五時四七分被害児宅に架電し、同日午後八時に身代金を受け渡すことを再度確認した後、浄水場手前空地(前記原判示(二)志望橋付近の脇道のこと)において被害児とともに同時刻まで待機し、かつ休息していた。

(二)  ところが、突然千葉ナンバーの車両を運転して同所へ立入ってきた男に気づき、同所にとどまっておれば同人に怪しまれると考え、直ちに自車を発進させて同所を出て昇仙峡方面に走らせた。

(三)  しばらく自車を走らせた後、千葉ナンバーの車が右空地から立ち去っているものと思い同所に帰ってきたところ、依然として右車両が同所にとまっているばかりか、同所にキャンプを張り同所に滞留しようとしているのを目撃し、早急にどこか身を潜めるに安全な場所を探さなければならなくなった。

(四)  そこで再び自車を走らせ、身を潜めるのに安全な場所を探していたところ、進行方向左手に鋭角に交わる脇道を発見し、同脇道に自車を乗り入れて同所で身を隠そうと思い立ち、同所を通りすぎた所で自車をとめ、右脇道に入るべく車を転回させた。

(五)  しかし、自車を転回させている途中、自車の右後輪を道路から脱輪させて動けなくなり、スコップを使用してようやく脱出し、車を転回し終った時、被害児が車の助手席から外に転落し、突然大声を出して泣き始めた。

(六)  その時まで被告人によくなつき、一度たりとも声を出して泣いたことのない被害児が大声をあげて「お父さん、お母さん」と泣き始めたのに驚き、直ちに被害児を泣きやますため懸命に慰めたり、なだめたりした。

(七)  しかし被害児がなかなか泣きやまず、そのままでは他人に泣き声を聞かれてしまうため、ひとまず身を隠すのに安全な場所に移動し、その後被害児を泣きやませようと考え、自車を右脇道に乗り入れ、本件殺害現場に立ち至り、自車を転回させて停車させた。

(八)  その場で、なおも大声で泣き続ける被害児を懸命に慰め、またなだめたりしたが、以前にもまして大声で泣き続けるのに困惑ろうばいし、一刻も早く泣きやまさせなければという焦燥感に追い立てられ、ついかっとなって、前後の見境もなく衝動的に殺意を抱くに至った。

以上が被害児殺害に至る経緯の真相で、被告人は本件殺害現場において殺害行為に着手するまで確定的故意はもとより、潜在的殺意もなかったものである。

3  被告人の捜査段階における殺意発生時期に関する供述中には原判決の事実認定に添うものがあるが、それらはいずれも、捜査官の先入観に基づく強引な誘導と被告人の強い罪障感からの捜査官に対する迎合によるもので、到底信用するに価しない。

そのことは、被告人の供述と客観的事実の間に重大なそごのあることや、供述相互間に著しく不自然な変せんがあることから、明白である。

すなわち

(一)(1)  被告人は、本件殺害当日の午後六時ころ浄水場手前空地において、汗にまみれた被害児の体を付近の小川で洗ってやり、更に、引き続いて同児と沢がにを取ったり、ささ舟を作り川に流したりして遊んでやり、また、同児のシャツを洗ってやろうとし、

(2) 同日午後七時ころ大声で泣く被害児を慰めたり、なだめたりしてなんとか泣きやませようと努力し、

(3) 同日午後七時三〇分ころ本件殺害現場においてきわめて狭い道路上で自車を転回させて停車させた後、運転席から下車し、車の前部を通って助手席側に回り、助手席のドアを開けて被害児に対し「どこか痛いのか。」「すぐに返してやる。」などと言って気づかいをし、慰めたり、なだめたりしている。

右のような被告人の言動は、被告人がすでにそれ以前に被害児の殺害を決意していたとすれば甚だ不自然というべきである。

(二)  被告人の捜査段階における供述は、殺意形成の時期、動機等のきわめて重要な事項について変遷があり、しかもその変遷の経緯が不明で、不自然であり、さらに、余りにも微に入り細に入りすぎている点においても、初めて犯罪を犯し、取調べを受けたものの供述としてきわめて不自然にすぎ、到底措信できないものである。

4  しかるに前記のように認定した原判決には、被告人の殺意及びその形成過程について、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認がある。

以上のようにいう。

しかしながら、原判決挙示の関係証拠によれば、原判決がなした原判示第二の被害児殺害に関する事実認定は、殺意発生の時期等所論指摘の点を含め優にこれを肯認することができ、原判決に事実誤認があるとは認められない。

以下若干付言する。

1  被告人は、公判段階特に当審公判廷においては所論に添うように供述し、「原判示の殺害現場において被害児に泣かれたので口をふさいで黙らせるつもりであったが、同児が泣きやまないので、どうにもこうにもできなくなって、そのまま首を絞めてしまった。その以前に被害児の殺害を考えたことはない。」旨述べ被害児に対する殺意が偶発的衝動的に生じたものであると強調するのであるが、被告人の捜査段階における供述調書には、原判示「罪となるべき事実」第二記載のような一連の事態の推移のなかで、被告人の被害児に対する殺意が、当初は未必的、潜在的であったものが徐々に形成強化され、最後に人目につかない場所を求めて車を走らせ山道へ入り、本件殺害現場へ至って同児を殺害する経過が具体的かつ自然に述べられていて、その供述は、客観的情況とも符合し、前記被告人の公判段階に至っての供述に比し、信用性がきわめて高度であると認められ、右各供述調書を含む前掲関係証拠によれば、原判示事実を認めるのに十分である。

2  所論は、殺意発生時期に関する被告人の前記各供述調書の記載は、捜査官の強引な誘導と被告人の強い罪障感からの捜査官に対する迎合によりなされたものであるというのであるが、捜査官の取調べにそのような過度の誘導があったことをうかがわせるなんらの証跡もないし、被告人が、捜査官の取調べ当時本件について強い罪障感を抱いていたとしても、そのことは被告人が事実をありのまま率直に供述する契機とはなりえても、ことさら事実に反し迎合的な供述をする理由とはならないというべきである。

3  また、所論は、所論3の(一)(1)ないし(3)のような事情の存在は、その当時から被告人が被害児に対し殺意を持っていたとすると、甚だ不自然であると主張するのであるが、前掲関係証拠によれば、被告人は、もともと子供嫌いの性格ではなく、被害児に対し殺意を抱いた前後を通じて、別段同児を嫌っていたわけでもなく、憎しみの感情を持っていたわけでもないことが明らかで、被害児殺害の動機の根幹にあるものは、要するに前記のとおり犯行発覚に対する懸念、恐怖なのであるから、被告人が同児殺害の意を決した後においても、別段同児に対する態度をにわかに変えることがなく、その後も時に同児に対する思いやりとも認められる言動があったとしても、なんら不自然ではない。

4  所論は、また、被告人の捜査段階における殺意形成時期等に関する供述には変遷があって信用できないと主張するのであるが、被告人の検察官及び司法警察員に対する関係各供述調書を検討しても、被告人の被害児に対する殺意についての供述部分に若干異るところがあるとしても、これを全体としてみると、その基本的部分について重要な変遷があるとは認められない。

前掲関係証拠によれば、被告人の被害児殺害の主要な動機が自己の犯行発覚に対するおそれにあったことが明らかで、それが、種々の情況の変化に応じ次第に増幅、強化され、未必的、潜在的なものから確定的なものへと推移していったものと認められ、その過程における部分的な供述のみを対比して相互に矛盾や変遷があるとするのは相当でないといわなければならない。

論旨は理由がない。

三  控訴趣意書第三点の第一ないし第三(法令適用の誤りの主張)について。

論旨は要するに次のようにいう。

1  死刑は、その制度自体、個人の尊重に最大の価値をおく憲法一三条、法律の内容自体適正でなければならないとする英米法の思想を汲んだ憲法三一条、残虐な刑罰を禁止する憲法三六条に違反する。

これと異なる見解をとる昭和二三年三月一二日最高裁判所判決は不当で変更されるべきである。

2  また、死刑は、絞首して執行すると定められているところ、絞首刑は、その執行方法自体残虐であるから、憲法三六条に違反する。

右と異る見解をとる昭和三〇年四月六日最高裁判所判決も変更されるべきである。

3  刑法一九九条においては、殺人に対する法定刑として死刑または無期もしくは三年以上の有期懲役刑が定められているところ、同条はその刑の選択の幅がきわめて広く、裁判官の恣意をいれる余地が広いから、刑事裁判に適正な法の手続を要求する憲法三一条に違反する。

4  右のように憲法に違反する刑法一九九条の規定を適用して被告人を死刑に処した原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令適用の誤りがある。

しかしながら、死刑ないし死刑を定めた刑法の規定が憲法一三条、三一条、三六条等の諸規定に違反するものでないこと、絞首刑が憲法三六条に違反しないこと等については所論の引用するもののほか最高裁判所累次の判例により明らかであり、かつ、今これを変更する必要を認めない。

また、具体的事案に即し、その情状に格段に軽重の差がある殺人罪について、刑法一九九条の定める法定刑の幅が、憲法三一条に違反するほど広すぎるとは解されない。

所論は、ひっきょう独自の見解に立脚するもので排斥を免れない。

論旨は理由がない。

四  控訴趣意書第二点、同補充書四一丁以下(量刑不当の主張)について。

所論の骨子は、次のようなものである。

原判決の認定とは異なり、本件誘拐、殺人いずれの犯行も、弁護人が前に主張したとおり偶発的で計画性のないもので、本件と過去の裁判例とを比較しても本件よりも悪質な事案について無期懲役刑が確定しており、原判決が量刑の理由として説示するところはあまりにも情緒に流れ、公正さ、論理性を著しく欠き到底支持することができない。被告人は被害児と行動を共にしている間、同児との関係は極めて親密であり、被告人に凶悪性は全く見られず、同児といっしょにいることについては全く無防備で、その犯行は甚だ稚拙である。さらに、本件は被告人に帰責しえない数々の偶然の事情の積み重なりにより最悪の事態を招いたものであるが、特に、本件の初動捜査に重大な捜査ミスがあったことが被害児の殺害につながったのである。このような犯情に加え、被告人がこれまで営々と努力し、電気工事店を経営するに至った経緯、被告人は、それなりに懸命に努力したが本件の際、資金繰りに窮し、窮状を打開する方策がなかったこと、被告人の反省悔悟の情が顕著であること、世間の非情な迫害を受けながら被告人の安否を気づかい被告人を待っている妻や子供がいることなどの諸事情をも併せ考察すると、被告人について死刑を選択することは明らかに正義に反し、被告人には生きてその罪をあがなう機会が与えられるべきである。

右のようにいう。

そこで、検討してみると、本件犯行は、原判決も判示するように、昭和五一年四月から電気工事業を自営するようになった被告人が、収支の均衡を無視した計画性に乏しい経営をした結果、工事材料の買掛金債務が累積し、いったんは妻の尽力で解決したものの、なお浅はかな考えかたによる経営方針を改めず、昭和五五年六月ころには買掛代金がまたまた約一五〇万円にのぼったのであるが、被告人は、見え張りな性格からそのことが他に知られることを恐れ、妻や知人に相談することを好まず、同年七月三〇日に至って金策のため自動車(原判示ワゴン車)で自宅を出たけれどもなんらそのため具体的に奔走するわけでもなく、それだからといって自宅へも帰らず、知合いの家へ泊ったり自動車内で夜を明かしたりして三日間を無為に過ごし、ひとり思い悩むうち、強盗か身代金誘拐により一挙にまとまった金を入手しようと考えるに至り、結局比較的容易に成功すると思われた幼児誘拐を実行して、身代金を要求し、しかもその幼児を殺害して死体を遺棄した、という事案である。

犯行の動機は、右のとおり極めて浅薄かつ短絡的、自己中心的であって、酌むべき点は全くない。犯行の態様をみても、被告人は、なんらの警戒心も持たずになついて来た五歳の幼児を、自己の運転する自動車に乗車させ、自己の支配下に置いて連れ歩きながら、その両親に電話で身代金の要求を繰返し、二日後には足手まといになったとして同児を殺害した上、死体を山中に埋めて遺棄し、しかもなお同児の生存を装い、引き続き九日間にわたり、身代金の要求を続けたのであって、被告人が右両親にかけた電話は前後合計三一回に及ぶなど、残虐かつ凶悪というのほかはなく、特に、被害児殺害後の冷酷な要求ないし脅迫の電話は、まさに悪鬼の所業といっても過言ではない。

本件により、前途春秋に富む幼い命を、なんら責めるべき点もないのに、無残にも散らされた被害児のふびんさはいうまでもなく、愛児を奪われ、被告人の陰険な脅迫と理不尽な要求のもとに、不安と焦燥の日を過ごし、ついに生還の一縷の望みをも絶たれてしまった両親をはじめとする肉親らの悲嘆と憤激は察するに余りある。その被害感情がいまだ全く宥和されることなく、被告人に対し極刑が望まれていることも十分に理解できるところである。また、本件が地域社会はもとより社会全般に与えた衝撃の大きいことも多言を要しない。

なお、一般に重大犯罪を敢行した者は、結果の重大さを見て深く悔悟することも少なくないし、被告人もまたその例外ではないけれども、同時にこのことによってたやすくその罪責が消滅し、あるいは軽減されるものではないほか、特に本件のような重大犯罪の敢行は、環境もさることながら、結局のところ犯人の人格に深く根ざすところがあることを否定できないのであるから、事後の悔悟、あるいは他律的手段によるその矯正のみに過大な期待をかけるあまり、その処遇につき正義に立脚する応報の見地を没却することは許されないものといわなければならない。

したがって、被告人の罪責はまことに重大であるといわなければならず、これと同様の観点に立って、本件につき、被告人の悔悟の情、家庭の状況等をも考慮しつつ、処断刑としてあえて死刑を選択し、被告人を死刑に処した原判決の量刑は、一応首肯できないものではない。

しかしながら、さらにひるがえって考えると、被告人は、必ずしも恵まれたとはいえない環境の中で生育したのであるが、原判決も判示するとおり、従前、なんらの前歴、前科もないことはもちろん、前示のとおり、本件犯行に先立つ数年間、事業経営にあたって浅慮、拙劣な点があったにせよ、取引上も、対人関係においても、ことさら反社会的行動に出た事跡はうかがわれず、それなりに破綻なく日常生活を営んで来たことが認められ、浅はかで優柔不断な性格などの欠点はあるにしても、本来的に悪性が高く、社会生活に適応しがたい者と断ずることはできない。

また、本件犯行の態様は、前示のとおりすこぶる悪質で、その結果も重大であるけれども、さらに子細に検討すると、前に判示したとおり、被害児がスポーツ広場を出ていった後、被告人が直ちにこれを自動車で追尾し同児を誘拐したかのような原判決の事実認定部分は、そのままでは維持しがたく、かえって、関係証拠によれば、次のような経過であることが認められる。

すなわち、被告人は、誘拐の対象として被害児に目をつけ、そのような意図を秘めつつ行動していたものの、同児がスポーツ広場を出ていった後、あえて即刻同児を追尾する等の行動に出たわけではなく、その後しばらく同広場や近くの神社の境内で休息するなどしたあげく、被害児を再び発見できたらという期待を抱きつつも、確たるあてもなしに同広場及びこれに隣接する小学校沿いの道路を自車を運転して走行し、左折して原判示交差点付近路上に出たところ、たまたま同交差点に向かいひとりで歩いている被害児と出会い、チビッ子広場にいる同児の兄のもとへ連れて行ってやるといって同児を自車に乗せて誘拐したが、なお若干のためらいがあり、直ちに遠方に走り去ることなく、いったんは同広場の方向へ行き、その周辺を回るなどしているのである。

さらに、その後身代金要求を開始した後も、被告人は二日間にわたり同児に対し危害を加えることなく連れ歩いており、その間、時間の経過とともに同児殺害を考えるようになったけれどもその決意をするまでには至らなかったところ、たまたま原判示のようにキャンパーに発見されたと思ったことから、同児を足手まといと考えるようになり、同児が泣き出したことがいわば引き金となって同児殺害に至ったものである。

右のように、原判決の事実摘示からは必ずしも明らかでない情況も認められ、金員奪取の目的のため、あらかじめ綿密周到な計画を立て、十分な準備をととのえた上、捜査機関の追及をも巧妙にふり切って着々と実行したというような事案、あるいは誘拐に成功するや直ちに被誘拐者を殺害し、足手まといをなくした上でその生存を装い身代金を要求するというような事案とは、悪質さの程度において若干の差異があることも否定できない。

また、不幸にも、誘拐後二日にして被害児が殺害されるに至ったについては、被告人に根本的な責任があることはいうまでもないけれども、被告人は、誘拐の当時ころ被害児らと長時間接触し、被害児の兄を始め、子どもたちやおとなにまでその車ともども人相風体を見られており、誘拐後も被害児を自車の助手席に乗せて甲府市内を連れ歩いていたのであるから、当初から捜査の対象が被告人の動静に集中していれば、結果論にすぎないとはいえ、早期検挙により被害児の殺害を未然に防ぎ得たことも考えられないではない。

しかし、初動捜査がそのようにならなかったのは、当初被告人以外の者が容疑者であるかのような一見有力な情報がもたらされたためで、万やむをえなかったことが記録上うかがわれるから、このことをもって所論のように捜査ミスと評することはもとより相当でないが、いずれにしても、被告人が捜査の目をくらまして巧妙に立ち回ったとはいいがたい事情にある。

さらに、本件につき死刑の選択が許されるのは、本件が殺人罪を含むことによるところ、本件と同種の事案はもとより、かつては死刑選択がむしろ原則とされていた強盗殺人、強姦殺人等の重大な生命侵害事犯に関する近時の量刑の動向が、その当否はともかくとして、死刑選択に慎重の度合いを深めつつあるという現実も、刑事裁判の根本原則のひとつというべき罪刑均衡ないし刑罰の公平の見地から無視するわけにはいかない。

そこで、これらの諸点をさきに述べた本件の犯情とあわせて考えるときは、被告人を死刑に処することとした原判決の量刑は、それを真にやむをえないものと断するにはなお若干のためらいがあり、その意味で原審の量刑は重きに失し、維持しがたいものとせざるをえない。

所論のうち前記認定ないし説示に添わない部分は採用しがたいが、被告人を死刑に処した原判決の量刑不当をいう論旨は、結論において理由がある。

よって、刑訴法三九七条一項、三八一条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書によりさらに次のとおり判決する。

原判決の認定した罪となるべき事実(但し、原判示第一中「司一人がスポーツ広場に取り残された。」以下「同児を発見し」までを次のとおり改める。「スポーツ広場に一人取り残された司も間もなく同広場を立ち去った。同日午後三時三〇分ころに至り、自車を運転して走行中の被告人は、同広場東方約二五〇メートルの同町東原四六七番地先交差点付近路上において、たまたま一人で歩いて来る同児を発見し、ここにおいて、同児の近親者から身代金を交付させる目的で、同児を誘拐しようと決意し、」)に、原判決掲記の法条を適用し(科刑上一罪の処理を含む。)、原判示第二の殺人罪につき所定刑中無期懲役刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪の関係にあるが、そのうちの一罪につき無期懲役に処すべき場合であるから、同法四六条二項本文により、他の刑を科さず被告人を無期懲役に処することとし、原審及び当審における訴訟費用につき刑訴法一八一条一項但書をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 田尾勇 中野保照 裁判長裁判官鬼塚賢太郎は転補のため署名押印することができない。裁判官 田尾勇)

<以下省略>

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